
(以下の文章は4月12日に外部ブログに投稿したものを、あらためて当ブログに再投稿したものです)
2004年1月〜2月にかけて、自衛隊のイラク派遣に抗議して自衛隊官舎にビラを投函したことに対して検察が住居侵入罪で起訴。一審では「居住者のプライバシーを侵害する程度は低い」として無罪判決が下されたが、検察側が控訴、二審で逆転有罪。これに対して市民側が最高裁に上告していたが、検察が主張する「居住者は平穏に生活する権利がある」を最高裁が支持すると言う結果になった。
しかし、判決文は、検察・裁判所の自己矛盾が露呈したものと言える。何故か。
まず、一つに表現の自由に対するとらえ方だ。表現の自由は憲法に保障された、民主主義の根幹ではないか。国民があらゆる形で意思を自由に表明する権利、これは何物にも、優先されるべきものとして、憲法によって保障されている。
つまり、表現の自由とは、戦前における、国民の表現の自由が著しく圧迫され、自由に意思表示できなかった反省として、絶対不可侵の権利として保障されているものだ。
ところが、検察は明治以来の「国家の安寧秩序をたらしめん為」国民に対して「よらしむべし、知らしむべからざる」(国民は政治のことについて知る必要はない。お上の言うことに黙って従っておればよいのだ)を強制。これこそ、まさに専制国家以外の何物でもない。
二つ目は、被告たちに対する長期勾留だ。微罪であるにも拘わらず、保釈を認めず長期間にわたって獄に閉じ込めておく。こんなことが許されようか。
これは、国民への見せしめ以外の何物でもない。彼らの目的、つまり、国民を萎縮させ、民主主義的自由を奪うことが果たして正当化されようか。
考えても見よう。大義なきデタラメなイラク戦争に自衛隊を派遣するために、国民の反対意思を封殺し、イラク参戦翼賛体制をつくる。そためには、反対する国民を黙らせる。ここに自民党政府の本性が露わとなっているではないか。
現在、ありとあらゆる、ところで表現の自由が簒奪されている。これこそ、まさに民主主義の危機そのものだ。
最後に、1955年日本母親大会で発せられたメッセージの一部を紹介したい。
「戦時中、私たち母親は言いたいことも言えず、涙を流すことも許されず、戦場に発つ夫やこどもを、ただ黙って見送ることしかできませんでした。・・・・・・・」
戦時中の、この母親たちのような悔しさを再び許してはいけない。
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