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             731石井四朗と細菌戦部隊の闇を暴く
関東軍731部隊の実態を扱った著書は幾つか存在している。しかし青木氏のように、731部隊が一切裁かれることなく、何ゆえに戦後以降も日本の医療・製薬の第一線に登場し続けることが出来たのかをテーマに扱った著書は他には見当たらない。わたしが、この著書に魅かれた理由もそこにあった。

著者は、執筆の趣旨にについて次のように述べている。

「石井四朗と731部隊員がマッカーサーと取り引きして、人体実験を含む研究データを渡す代わりに、戦争犯罪に問われないと言う約束を取り付けたことを知った私はこの取引にこそ、水面下の占領軍の動きを掴む格好のテーマだと思った。

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                      (1)

1931年9月18日夜間、板垣高級参謀、石原作戦主任参謀に指揮された関東軍全部隊は満鉄線柳条溝付近を爆破すると、一斉に満鉄線を突破、満州領内に侵攻。翌32年1月には満州全土を占領して「満州国」を建国した。

そのころ、関東軍内に「防疫研究室」(後の731部隊)が設置。室長には京大医学部出身の石井四朗が就任した。研究施設が完成に近づくと、京大医から軍属の医者として助教授・講師クラスが到着した。病理・解剖・チフス・コレラ・天然痘など専門のエキスパートが研究班の班長となり細菌兵器の開発に没頭していった。スタッフの中には、戦後に「ミドリ十字」(現田辺三菱製薬)の幹部となる面々が勢ぞろいしていた。初代社長内藤良一、初代専務となる宮本光一・二木秀雄ら。さらに戦後、大学医学部に復帰し医学界中枢を占めることになる石川太刀雄丸金沢大医学部教授、岡本孝造兵庫医大教授など、そうそうたるメンバーであった。

ここまで言えば読者もお分かりだろう。そうだ。HIVやC型肝炎などの薬害汚染の製薬メーカーのことだ。元を辿(たど)れば関東軍731部隊だったのだ。防疫研究施設は平房にあった。人体実験用の捕虜が脱走出来ないように関東軍兵士が周りを厳重に警備する物々しさだ。

この防疫研究室の任務とは、生物化学兵器の開発つまり細菌兵器の開発のことである。

「1997年8月、180名の中国人原告被害者(731部隊の)が日本政府を相手取って、賠償を求める訴えを東京地裁に提訴してから、判決が出るまでに5年もかかっている。2002年8月に出た一審判決では原告らの賠償責任は棄却されたものの、日本軍による細菌兵器を使った攻撃が行われたことなどは認定された」

著者はこの公判を傍聴した折、原告と知り合い、ハルピンまで一緒に旅することになった。そしてハルピンに着いた著者は旧731部隊跡の展示室に向かうと、陳列館館長から説明を受けることとなる。その時のことを著者はこう述べている。

「階下の実験室では石井部隊の実態を伝えるリアリティに溢れていた。第9展示室には生体解剖に使われた人間の内臓を吊るすハンガー、生体解剖では人間の内臓を一つずつ取り除いては吊るした」

関東軍は完成した細菌兵器を実際に、中国人が住む地帯に散布し、多くの中国人が犠牲となった。

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                   (2)

著者は石井四朗の生家などを取材のおり、かつて石井四朗の手伝いをしていたという女性から2冊の大学ノートを預かることになった。それは、石井四朗直筆のノートで表題には『1945−8−16終戦メモ』と、もう一冊は『1946−1−11』であり、戦後の石井と731部隊員の足跡が克明に記されていた。

それによると、1945年終戦後、731部隊は施設を爆破。急きょ日本へと脱出していった。脱出する際、石井は隊員にこう厳命したと言う。

「●郷里へ帰った後も731部隊に在籍していたことを秘匿し、軍歴も隠すこと。

 ●あらゆる公職には就かぬこと。

●隊員相互の連絡も厳禁。」

一方、米占領軍は早い時期から731部隊の情報を確保していたらしい。著者は米公文書館まで出向き、当時のファイルを発見する。

「『シロウイシイ ファイル』は占領軍参謀2部の対敵諜報部隊の秘密文書をまとめたファイルである。占領初期から1950年代初めまでの、石井に関する数多く秘密文書に目を通して見ると報道機関の裏で対敵諜報部隊がどんな情報を掴んで密かに動いてきたのか、はじめて見えた」

1946年5月3日、東京裁判が開廷。これ以外にも海外国内においてもBC級戦犯裁判がおこなわれていたが石井をはじめ旧731部隊の姿は見当たらなかった。このころ、1947年3月から占領軍は細菌戦に関する報告書(人体実験データ)を石井ら旧731部隊員に書かせていた。占領軍はこうして報告書を用意させるために、731部隊員の身の安全を保障したのである。

晴れて自由の身となった旧731部隊員は、ある者は以前勤務していた大学病院に復職。それ以外の者らは占領軍の協力で「日本ブラッドバンク」を設立した。いわゆる血液銀行のことである。献血中心の日赤に対し「日本ブラッドバンク」は売血によって輸血血液を賄っていった。

その後、「日本ブラッドバンク」は「ミドリ十字」と社名を変更。主な業務内容は医療機関に血液製剤を提供することであった。同時に厚生省から高級官僚の天下りを誘って急成長、国内最大の製薬メーカーにのし上がっていったのである。




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